ダンサー・イン・ザ・ダークが持つ「救いようのない魅力」

ダンサー・イン・ザ・ダーク
2000年にカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞したミュージカル映画の金字塔的作品です。
一般的に賞を貰う映画というのはエンタメ性に優れています。つまり「大抵の人が良いと思える映画」が評価される。
でも本作は全く違うんです。僕もこの作品は好きです。でも二度と見たくないとも思う。
今回はこの映画が持つ魅力、いや魔力について語っていきます。

救いがない

まずは本作のあらすじをざっくりとチェック

アメリカのある街に住む移民のセルマは、工場で働きながら息子のジーンとふたりで暮らしていた。二人は幸せに順調に暮らしていた。
しかし、セルマは先天性の目の病気のため、失明する運命にあった。
さらにジーンもまた、遺伝によって13歳までに手術をしなければ失明してしまうという。
セルマはジーンのために必死で手術費用を貯めていたが、視力の悪化により仕事上のミスが重なり、ついに工場をクビになってしまう。

主人公は
目が見えなくなる⇒仕事先を首になる⇒お金が稼げなくなり、息子の手術代が払えない
この負のループへと陥ってしまいます。

ハッピーなミュージカル映画ならば、ここで救いの手を差し伸べるカッコいい男が現れたり、主人公が逆境を乗り越えてピンチをチャンスに変えるはず。
しかし、ダンサー・イン・ザ・ダークはそんなに甘くない。とことん、本当にとことん主人公を奈落の底へと落としていきます。

観てる方は「一瞬でも良いからどこかで救われてくれ」と願うはず。というかそう思わせるような演出をしています。
それなのに最後まで主人公は救われない…。

敢えての不協和音

ミュージカル映画ですから、当然ハッピーな踊りと歌を披露する場面は存在します。
しかし、それは「主人公の妄想」なんです。
辛い現実から逃げるために妄想の中で楽しく振舞う。こんな悲しいことがあるでしょうか。
いや、人間ですから誰しも精神世界へと逃げだすことはあるかもしれない。それでもその様子を客観的に、躊躇なく表現しているのが悲しいのかもしれません。

楽しいのに辛い。今作は敢えて不協和音を生み出しているんです

暗い描写に共感しているわけではない

陰鬱で暗い映画なんて腐るほどあります。そういった映画で評価されているものは「このリアリティーが素晴らしい」とか「人生はそんな単純じゃないという表現に共感した」というものが多いです。
つまり共感を得るからこそ評価されている。
しかし、ダンサー・イン・ザ・ダークに共感できる場面はありません。いくら息子が大事だからといってもそこまでするか…。と思いますし、何をやっても上手くいかず、それでも馬鹿みたいに純粋に生きる主人公に苛立ちすら覚えます。

美しくて、苦しい

この映画が好きな理由を考えてみたんです。もう二度と見たくないと思っているのに何故ここまで語りたくなるんだろうと。
きっとそれは「最後まで主人公が純粋だから」。
限界まで追い込まれ、すべてを失った時に人は本性を現すはず。本作を見ていても、主人公が発狂する姿、闇堕ちする様を期待している自分がいました。
それでも最後まで、彼女は純粋で美しかった。苛立ちを覚えるほどに。この矛盾しているような感覚が好きなんだろうなと思っています。

僕はこの映画をおススメ出来ません。それでも興味を持った方がいるなら、ある程度の覚悟を持って観てほしい。
いつか見直したいと思う日は来るんでしょうか。いや、来ない方が幸せなのかもしれません。

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